Northrop P-530 / P-600 / P-610 / YF-17 Design Evolution


従来、複座型であるF/A-18B/Dは訓練用として使用されていたが、のF/A-18D[N]はの後継機として実戦部隊での攻撃任務のために配備されている。そのため兵装システム士官(WSO:Weapon System Officer)が搭乗する後席の操縦装置は外され、代わりに左右コンソールにスティック型のハンドコントローラーが設置された。同様のF/A-18Dはでも採用されている。ブロック36以降のD型の一部は機関砲を外しATARS(新型戦術機上システム)を搭載したF/A-18D(RC)となっており、アメリカ海兵隊で少数が使用されている。


Infrared image of Northrop P 530 Cobra Stock Photo

ビューローナンバー163985から夜間攻撃能力を強化したC[N]/D[N]となっており、に夜間攻撃型の初号機となるF/A-18D[N]が初飛行している。、新型IFF、AN/AVQ-28 ラスター・スキャン型、AN/AAR-50TINS、カラー多機能表示ディスプレイ、カラー・デジタル自動移動地図などのシステムを装備し、の利用も可能となった。また、も装備され始め、の投下能力、各の精密誘導投下が可能となった。加えて、電波吸収体の使用によりが低減した。

ビューローナンバー164693以降の機体では新型のの搭載や燃料を消費状況に応じて移送し機体重心を安定する機能を装備した。輸出向けの機体にはCF-18が迎撃任務時の夜間識別用として採用していた、機首左舷のスポットライトが標準装備となっている。

Infrared image of Northrop P 530 Cobra

機体の空虚重量は2t以上も軽量化された上、1992年以降の引き渡し機からはエンジンが推力を約10%増強したF404-GE-402に換装されたため、最大離陸重量はむしろ増大した。この改良でペイロードにおける恩恵を受け、レーダーも後期生産型からAN/APG-73となったことで、や、といった新兵器の運用を可能とした。これ以降、F/A-18は元来の軽戦闘機コンセプトにとどまらない本格的なマルチロールファイターとしての潜在能力を開花させていくことになる。

度会計で導入された機体から単座型はAからC、複座型はBからDへとアップグレードされた。F/A-18Cの初飛行は。当初生産されたC/Dと在来型の相違点は後方のシステムだけだった。前述の垂直尾翼にクラックが入るという問題はLERXから発生した渦が垂直尾翼に直撃するためと判明したため、上面の渦の流れの方向を変え、尾翼への直撃を減らす目的でビューローナンバー161353以降の機体からLERX上部にLEXフェンスを追加している。この改修はそれ以前の機体に対しても行われている。

Cutaway Thursday: Northrop P530 Cobra | The Lexicans

より生産された初期型。B型は複座型で当初はTF-18の名称だった。

F/A-18が機として製作され主契約者がだったのに対して、F/A-18の原型機YF-17の開発元であるが主契約者となる、輸出用として開発した機体。降着装置の簡素化や主翼折りたたみ装置の省略など艦上機向けの仕様を改める一方で、翼下の増設や簡略化したの搭載によって空対空性能を一定程度は強化するなど、もともと空軍向けの軽戦闘機として設計されたと海軍艦載用のに仕上がったF/A-18ホーネットを足して2で割ったような機体となっている。

F-14はプガチョフコブラをすることは可能ですか? 解答よろしくお願いします

本機の最高速度は1級に留まっている。これは、軽戦闘機による空戦においては、大量の燃料消費を要するマッハ2の速度域での戦闘は実際には起きないというLWF計画の時期からの想定のもと、軽量単純でコストが安く整備も容易で信頼性も高い固定式が採用されたためである。

社の傑作機の経験を踏襲したこの主翼設計は、高でありながらも中低速域での機動性と離着陸性能に優れた特性を持つものである。これらの利点は、艦載機として離着陸性能を重視するに本機が採用された一因となっている。その一方、遷音速域から超音速域といった高速度での性能や加速性は良いものではない。これらの欠点はの空戦計画における不採用の理由ともなっている。中低速域で機動性が良いことはにおいては有利であり、の制限もないため離陸直後に急角度での上昇を披露することも可能である。このための後継機としてに採用されることとなった。


YF-17 и F/A-18] [Редкая птица. Northrop YF-17.

当初F/A-18は、を更新してを補佐する対戦闘機戦用のF-18と、を更新する対地攻撃用のA-18という2つの名称になる予定だった。しかしその後、統合されてF/A-18という特殊な名前となった。

Pearl P-530 stopa pojedyncza do perkusji

海軍は当初、VFAX(新戦闘/攻撃機)計画として新規開発を検討していたが、議会からの強い意向により、8月にNACF(海軍航空戦闘機)計画として、ACF計画の候補機を採用する事として具体化した。議会は経費削減の観点から、空軍と同様にF-16の採用を期待したが、評価の結果、海軍はYF-17を採用して発展させ、F/A-18を採用した。

Pearl P530 to pojedyncza, lekka stopa perkusyjna

同時期にでも配備を開始したは、艦隊防空に特化した戦闘機であり、また、を採用したこともあって価格が極めて高価になったため、空軍同様に前任機たるF-4の更新ができなかった。さらに、においてもF-4を更新する戦闘機が必要になった。また、のの後継機も必要としていた事から、制空戦闘と対地攻撃の両能力を持つを求めていた。

Tama HP910LWN Speed Cobra stopa podwójna

なお、マクドネル・ダグラスが、「F/A-18を海外セールスに出したのは契約違反である」として訴訟を起こし結論まで6年かかった上に、訴訟費用を要求予算の中に含むという行為を両社が行っている。しかし、この訴訟中もF/A-18の製作に支障はなかったという。

double pedal iron cobra tama 900 roling glide (hp900rwn)

は、新型研究のLWF(軽量戦闘機)計画で、のYF-16とノースロップのの競争試作を行った。さらにが極めて高価になり、前任機たるを全て更新できなかった事から、これを実用機として発展させたACF(空戦戦闘機)計画でYF-16の実用化を決定し、とした。

Single Pedal Bass Drum Pearl P530 / P 530 / P-530

F/A-18の開発は(現)社が社内開発していたP-530 コブラにまで遡ることができる。P-530はノースロップ社内の発展型の研究成果であり、F-5も社内プロジェクトのN-156計画から派生したである。のLWF(Light Weight Fighter, 軽量戦闘機)計画に際してP-530を基にを開発し、更にF/A-18へと改良していった。

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現在は発展型であると区別する意味でレガシー(旧来の)ホーネットと記載・呼称されることがある。ボーイングでは『F/A-18 Hornet Fighter』と記載している。

Los Cazas Ligeros de Northrop, el P-530 COBRA

F/A-18の配備に合わせ、アメリカ海軍には従来の戦闘飛行隊(VF)と攻撃飛行隊(VA)を統合した戦闘攻撃飛行隊(VFA)というカテゴリーが新設された。アメリカ海兵隊には以前から海兵戦闘攻撃飛行隊(VMFA)が存在していたが、A-6を運用していた海兵全天候攻撃飛行隊(VMA(AW))はF/A-18D[N]の配備によって海兵全天候戦闘攻撃飛行隊(VMFA(AW))に改変されている。

£61 ; Tama Iron Cobra HP200P Single Pedal

F/A-18は、の社(現社)が開発した()。また、採用国によっては防空任務が主な目的であることからF-18(FはFortress:要塞に由来)などと呼ばれることもある。

Проект истребителя Northrop P-530 Cobra

これはすでに見たように、F-14があまりに高価な上に予想されたほど高性能でもなかったため、議会が空軍の軽量戦闘機計画の採用を海軍にも求めた結果でした。さらに大量引退を控えたF-4ファントムIIの後継機、新たな艦上戦闘爆撃機を採用する必要にも海軍は迫られており、これをF-14で置き換えるには高価過ぎました。

当初は海軍もF-16の採用を迫られるのですが、単発である事、電磁波攻撃に弱いと思われるフライ・バイ・ワイアである事を理由に海軍にはこれを拒否、全く逆と言っていい機体であるYF-17が採用されたのです。ただしこの辺りは海軍が空軍と同じ機体を使用するのを嫌っただけで、全てウソですね(笑)。単発機ならすでにいくらでも艦載機に採用してましたし、F/A-18は最終的にデジタルフライバイワイアにしてしまったのですから(そもそもF-16のフライバイワイアが戦術核レベルの電磁波では問題ないというのは空軍が実験で確認済みだった)。
余談ながら、F/A-18の発艦は完全に自動化されており、むしろ人間が手を出すと危険だそうで、パイロットはカタパルトから打ち出されて空中に浮かぶまで、操縦系から手を離してコクピット横の取っ手を握ってます。

さらに言うなら、この時期、アメリカ海軍も艦隊防空システムをイージス艦に切り替えつつあり、F-14は使い道に困る機体に成り下がる可能性が高かったのです。そもそもF-4ファントムもF-14も、本来はソ連の高速爆撃機から発射される大量の対艦ミサイルに対応する、防空ミサイル戦闘機でした。
艦隊周辺上空に貼りつき、驚異となる敵攻撃機を遠距離から発見、後は誘導ミサイルで撃墜する、という機体なのです。このため、F-4もF-14も多くのミサイルを積んで、高度なレーダー兵器用の操作員を後部座席に乗せたことになります。が、何十機もの機体から無数のミサイルで飽和攻撃(迎撃できないほどの数を撃ち込む)するつもりだったソ連の攻撃に対し、6発のフェニックスミサイルしか積めないF-14では対応しきれないのは明らかでした。



その解決策としてアメリカ海軍が開発したのがイージス艦となります。高度なレーダーと電子機器により、同時に10以上の目標に誘導ミサイルを撃ち込める艦で、これを数隻(通常は6~10隻程度)空母に貼りつけておけば、その防空能力は十分である、と考えられたのです。1970年代後半にはその実用化にメドが立ちつつあり、そうなると空母に必要なのは戦闘爆撃機だけですから、その任務にF-14を使うのはさすがに無理がある、と海軍も判断した事になります。

なので、F/A-18は最初から戦闘爆撃機として採用を考えられており、特に地上攻撃の方が主だ、と考えられていました。ある意味、P-530コブラへの先祖帰りなのですが、この結果、大型化、重量増は避けられず、空中戦能力はYF-17に比べるとがた落ちになります。
改造の最大のポイントは翼面積を拡大し、爆弾搭載用の懸架部を追加したことでした。この結果、主翼強度が低下しエルロンリバーサルが発生、最悪のロール性能を示し海軍関係者を呆然とさせることになるのです。当然、これでは使い物になりませんから、エルロン(補助翼)の大型化、さらには数百kg以上とされる主翼構造への補強材が追加され機体はさらに重くなってしまいます。しかもこの重量増から脚に負担がかかり、その後、1件の死亡事故を含め主脚の破損による事故が連発されます。この辺り、どうも何やってんでしょうね、という部分です。

ちなみに1979年から産みの親ノースロップと育ての親マクダネル・ダグラスがF/A-18の販売権をめぐって訴訟合戦を始めてしまい、これが実に1985年まで続きました。最終的にはノースロップが5000万ドル受け取る変わりにF/A-18の海外販売を海軍とマクダネル・ダグラスに一任したようです。まあ、ホントに泥沼な機体です。

そもそもノースロップのトーマス・ジョーンズは安価な機体を海外に売りまくるF-5の成功体験が忘れられなかったようで、当初、地上用でより軽量安価なF-18Lという機体の開発をノースロップ社では目論んでいたのですが、上の条件で海外販売には見切りをつけます。その代わりF-5Eの発展型(F/A18と同じF404エンジンを搭載した単発機)ともいえるF-20の開発を開始するのですが、こちらも結局、全く売れませんでした。
理由は単純で同じ安価な戦闘機としてはF-16が既に登場しており、F-5とそんなに変わったように見えないF-20よりは最新世代のF-16の方がいいよな、となったのでした。アメリカ空軍としてもF-16の販売を全面的にバックアップしてましたからね(そもそも最初から輸出前提の機体となっておりそれによって調達価格を下げるのが採用条件の一つだった)。
つまりノースロップ社はF-5の後にP-530、F-18L、F-20、と三つも機体開発を行って全部失敗したわけです(F-18Lは試作機制作まで進んで無かったらしいが)。…ホントによく潰れなかったな、この会社。まあ、後にロッキードと並んでステルス機の開発で大儲けする事になるわけですが。

最終的にF/A-18は性能の割には極めて高価な機体となってしまい、海外販売では大きくF-16に差をつけられます。参考までに1990年ごろの価格でF-16が約1500万ドル前後、F/A-18が約3000万ドル前後とされてますから、同じ予算でF-16なら倍の数が買えるのです。これでは売れるわけが無いですね…。まあ、性能的にも見るべき点は無く、後の湾岸戦争では多国籍軍で唯一、空中戦で撃墜された機体と考えられています(しかも相手は直線番長のミグ25だ…)。この機体は事実上の失敗作と判断していいような気がします。

松田未来 コミティア134 ぬ-07a 新作「翼駆人アラン」! on Twitter

さて、F-5での成功体験があったため、1960年代後半に入るとノースロップはその後継機も自分たちで開発して、夢よもう一度という計画を立ち上げます。これがP-530という開発ナンバーを持ちコブラの愛称で呼ばれる戦闘爆撃機でした。例によってアメリカ空軍は無関心ですから(笑)自社開発でスタートさせてます。ただし、さすがに単独開発は無理がある、と思ったノースロップはエンジンメーカーのジェネラル・エレクトリック(GE)に声をかけ、その新型エンジンの採用を前提に計画への参加、出資を求めました。

この段階でGEはF-5シリーズのおかげで大儲けとなっており、こちらも夢よもう一度、という感じでこの話に乗ってきます。アメリカの企業としては極めて堅実で鉄板営業、というGEが山師とすら言える部分があるジョーンズと組むのは意外な感じもしますが、それだけ彼がセールスマンとして優秀だったという事かもしれません。こうしてP-530コブラの開発が1968年ごろにはスタート、1971年夏のパリのエアショーに原寸大モックアップを展示できるまでになるのです。が、残念ながら、当時これに興味を示す国はありませんでした。

そしてその直後、1971年12月に軽量戦闘機計画に試作機製作の予算がつくと、ノースロップはP-530を基にした機体の制作を決定します。ただしP-530はすでに戦闘爆撃機として設計されていたため、ボイドたちの要求に応えるには、ほぼ全面的な設計変更が必要となったようです。
ちなみにこの時期からノースロップはNASAとLERXの共同研究を開始しており、その成果からYF-17では大きく形状が変わっています。その後、最終的に社内開発ナンバーはP-600に、そして空軍からはYF-17と命名され、1974年6月、初飛行に成功となります。

このYF-17はYF-16に比べるといくつかの点で対照的でした。まず操縦系は保守的でフライ・バイ・ワイアは不採用、操縦棹も普通のモノでYF-16に比べる旧態依然とすら言える部分がありました(先に説明したように後にF/A-18はデジタルフライバイワイアを採用するのだが)。
そして既に熟成が進んでいたF-15と同じエンジンを単発で採用したYF-16に対し、新規開発のエンジンを採用した事がYF-17の大きな泣き所となりました。新しいエンジンを選んだ機体の宿命でもあるのですが、F/A-18試作型までを含めると、最低1回のエンジン爆発による墜落、同じく3回以上のエンジン内部の融解による不時着が記録されています。これが大きなマイナス要因として、この機体の落選の一因ともなりました。

海軍とF/A-18

最終的に空軍では不採用に終わるYF-17ですが、よく知られているようにその後、海軍が採用を決定、後のF/A-18の原型となりました。まあ、あくまで原型であり、大幅に改造されてしまって最終的には似てもにつかない重くて高い戦闘爆撃機という、ちょっとアレな機体になってしまうのですが…。


マクダネルダグラスF/A-18B

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2019年10月2日、第106戦闘攻撃飛行隊(VFA-106)のF/A-18Cが最終フライトを行いレガシーホーネットはアメリカ海軍から引退した